桜考
2004年4月3日 桜が咲きました。好い加減春と云ってもいいでしょう。桜がとても好きです。桜の周りの空気はきっと外気より一二度低温なのでは、そう錯覚することを容易に許すかのようにぼくが脳裏に浮かべる桜の像はいつでも澄んでいます。「桜の樹の下には屍体が埋まっている」、それは正しいでしょう。もし彼が桜の樹の根元を指差し「視ろ、昨日殺した彼女が埋まってる」と言ったら、ぼくは永年胸に堆積した澱のような疑問の謎解きを聞いた健やかさで、その桜を厭く事無く眺める、その意味で正しいのです。桜の優美さ、それは果敢なさ以上の代償を人が請求してはじめて帳尻があうような不思議な傲慢さに満ちています。そしてそれを正当には請求できぬ不条理さと。だからこそ魅せられる、そう思います。考えてみれば当然な話で不条理で傲慢でない美しさを思い浮かべる方が難しいようです。今この持主は春と一戦交えるには欠かせぬ特効薬を口に含みました。好い加減春と云ってもいいようです。手遊びが過ぎました、これで。 nex
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