東京の空

2004年11月15日
「智恵子は東京に空が無いといふ、」
という一文で智恵子抄は始まる。
光太郎ではない私は、
「ほんとの空が見たいといふ。」
と言葉が続いても、驚いて空を見上げたりはしない。

冬に片足を突っ込んだ東京は、
肌に寒さを知らせない。
見上げると高層のビルによって
視界に境界が引かれている。
グチャグチャに取り決められたフレームだ。
その何もあってはならないはずのスクリーンには
厚く
厚く
濁りにまかせた雲が咲いている。
どこまでも遠く、北方の奥までも。

私達を縛るのが種々の重力であるように。

見せまいとして、
眠ったふりをしている。
恐らく雲には
覆い隠さずにはおれない
理由があるに違いない。

空はもう見たくない
肉体から遠くにあって
表面に漂う泡のように
微かな苦しみが
私から空を遠ざけている。

風に乗って目に入り込んだ塵程度の煩悶がある。
そして東京には、たしかに空がある。

指先に感じる冷たさと、
少しづつ死に固まっていく身体について考える。
交接をする体を知らずにまた季節が一巡したこと。

勝手に女を愛すること。
気まずい空気が流れる。
視線が交わる。
しかし思いはいつまでも迷子のまま、東京の空に投げ出される。

夜毎、自分の感情が揺れているということ。

東京には空がない。

智恵子がいない東京の空。

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